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日本の歴史まとめ|平安時代 源氏物語 文化 生活


目次


  1. 平安時代
  2. 源氏物語

平安時代


期間

延暦13年(794年)~文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃。平安時代は、延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。

政治史

遷都

奈良時代末期の宝亀元年(770年)に称徳天皇が崩御し、天智天皇系の光仁天皇が60歳前後という高齢ながら即位した。天武天皇以来の皇統は、以前より盛んだった天武系皇族間での相次ぐ政争によって継承順で繰り上がったが、聖武の娘の井上内親王を室とする天智天皇系の白壁王(光仁天皇)が継承した。未だ天武系の皇族の影響があるなか、光仁天皇崩御後には桓武天皇が即位した。桓武天皇はその治世において二回の遷都や東北遠征(蝦夷征討)、勘解由使設置による中央集権の再編・強化など、歴代天皇の中でも稀に見る強権を誇ったが、光仁天皇即位まではあまり恵まれた境遇ではなかった。天武系でなければ即位すら出来なかった時代に天智系の光仁天皇(当時は白壁王)の第一皇子として生まれ、立太子は行われず(通常、継承順位が高ければ生まれると同時に行われた)、日々の暮らしに困憊するほどであった。以後、時の権力者となった桓武天皇の影響により、天武系の皇族は皇位継承から排除された。奈良時代は天武系の、平安時代は桓武天皇に続く天智系の時代であったといえる。

桓武天皇は新王朝の創始を強く意識し、自らの主導による諸改革を進めていった。桓武天皇の改革は律令制の再編成を企図したものであり、その一環として桓武天皇は平城京から長岡京、さらには平安京への遷都(延暦13年、794年)を断行した。平安遷都は、前時代の旧弊を一掃し、天皇の権威を高める目的があったと考えられている。また、その様式には強く唐風の物があり、奈良とは異なった。

平安京
応天門の変

嵯峨天皇治世初期、太政官筆頭だった藤原園人の後に政権を握った藤原冬嗣は一変して墾田開発の促進を政策方針とした。冬嗣の子、藤原良房も冬嗣の路線を継承し、開墾奨励政策をとった。当時、課税の対象だった百姓らの逃亡・浮浪が著しく、租税収入に危機が迫っていた。冬嗣・良房は墾田開発を促進し、土地課税に転換することで状況に対応しようとしたのである。良房は、政治権力の集中化も進めていき、そうした中で応天門の変(貞観8年/866年)が発生した。この事件は、藤原氏による他氏排斥と理解されることが多い。良房執政期を中心とした時期は、政治も安定し、開発奨励政策や貞観格式編纂などの成果により、貞観の治と呼ばれている。

応天門の変
平等院

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある単立寺院。山号は朝日山。開基は藤原頼通、開山は明尊。本尊は阿弥陀如来坐像。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立寺院となっていて、塔頭である本山修験宗聖護院末寺の最勝院と浄土宗の浄土院が年交代制で共同管理している。鳳凰堂(国宝)で世界に広く知られている。平安時代後期にあたる11世紀以来保持されてきた数々の建造物を中心とする寺宝と文化財は、往時の思想・文化を今に伝える。平等院と周辺地域は琵琶湖国定公園指定区域の一つである「宇治川沿岸地区」の中核をなす。1994年(平成6年)に登録されたユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」の構成物件の一つでもある。

藤原頼通は、平安時代中期から後期にかけての公卿・歌人。藤原北家、摂政太政大臣藤原道長の長男。官位は従一位、摂政、関白、太政大臣、准三宮。父・道長から若くして後一条天皇の摂政を譲られ、その後見を受ける。父の死後は朝政の第一人者として後朱雀天皇・後冷泉天皇の治世にて、関白を50年の長きに亘って務め、父道長と共に藤原氏の全盛時代を築いた。

平等院鳳凰堂
院政

11世紀中期までは摂関政治がある程度機能していたが、社会の変動に対応する政治的主導権を摂関家と天皇のいずれもがとりえないという摂関政治の欠陥が露呈し、機能不全に陥っていった。同後期に登場した、外戚に藤原氏を持たない後三条天皇は天皇親政を行い、記録荘園券契所を設置して実効的な荘園整理を進める(延久の荘園整理令)など、当時の社会変動に伴う課題に自ら取り組んでいった。後三条天皇の子、白河天皇も積極的に政治に取り組み、退位して上皇となった後は皇室の長という立場で独自の政策を展開していった。これが院政の開始であり、院政を行う上皇を治天の君という。

12世紀中期に鳥羽上皇が崩御すると、治天の君の座を巡って皇室・摂関家を巻き込む政争が起こり、軍事衝突によって解決した(保元の乱)。続いて、数年後に再び政争が軍事衝突によって終結し(平治の乱)、両乱を通じて武士の政治的地位が上昇した。保元以前、武力で政争が解決した事例は平安初期の平城上皇の変にまで遡り、三百数十年ぶりの異変だったため、当時の人々に大きな衝撃を与えた。両乱で大きな勲功のあった平清盛は異例の出世を遂げ、後白河上皇の院政を支えた。しかし、次第に後白河と清盛との間に対立が見られるようになり、清盛は後白河院政を停止して、自らの政権を打ち立てた。これを平氏政権という。平氏政権は、貴族社会の中で成立したが、各地に地頭や国守護人を設置するなど最初の武家政権としての性格を持っていた。

治承・寿永の乱(源平合戦)

治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)は、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱である。後白河法皇の皇子以仁王の挙兵を契機に各地で平清盛を中心とする平氏政権に対する反乱が起こり、最終的には、反乱勢力同士の対立がありつつも平氏政権の崩壊により源頼朝を中心とした主に坂東平氏から構成される関東政権(鎌倉幕府)の樹立という結果に至る。

源平合戦

文化

平安初期の中央文化は、唐の影響を強く受けていた。桓武天皇は中国皇帝にならい郊天祭祀を行うなど、中国への志向が強かったと考えられている。桓武期には従来の日本に見られない中国仏教(天台宗、真言宗)が最澄、空海によって伝来され、以降の日本仏教の方向性を大きく規定づけることとなった(平安仏教)。

文化の国風化(日本化)の萌芽は、奈良時代から見られていたが、平安初期は唐風文化の影に隠れるかのようになっていた。しかし、唐風化の波が沈静化すると、ふたたび日本的な要素が文化の前面へと現れてきた。これが、平安中期ごろの国風文化である。特徴としては、摂関家の娘と天皇との婚姻で外祖父の藤原氏の女系が重視される女性の時代であった。平仮名・片仮名が発明され[3]、日本語の表記が容易になり、枕草子や源氏物語に代表される和歌・貴族生活の日記・恋愛物語の女流貴族文学の隆盛などの国文学が繁栄して貴族文化が誕生した。官衣束帯の衣服の登場(官服の国風化)、寝殿造等の和様建築の登場などの衣住文化の発達があった。また、平安中期は、仏教の末法思想が民衆にも広く浸透し、浄土思想・浄土教が盛んとなった。空也や融通念仏の良忍などの僧が民衆の中で活躍した。

ポイント

延暦13年(794年)~文治元年(1185年)/建久3年(1192年)頃。平安時代は、延暦13年(794年)に桓武天皇が平安京(京都・現京都府京都市)に都を移してから鎌倉幕府が成立するまでの約390年間を指し、京都におかれた平安京が、鎌倉幕府が成立するまで政治上ほぼ唯一の中心であったことから、平安時代と称される。


源氏物語


平安時代に、紫式部の書いた『源氏物語』についてのご紹介です。

源氏物語について

源氏物語とは
源氏物語
出典:国立国会図書館

『源氏物語』(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)で、作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。

紫式部とは
紫式部

紫式部は、下級貴族出身で、20代後半で藤原宣孝と結婚し一女をもうけたが、結婚後3年ほどで夫と死別し、その現実を忘れるために物語を書き始めた。これが『源氏物語』の始まりである。当時は紙が貴重だったため、紙の提供者がいればその都度書き、仲間内で批評し合うなどして楽しんでいたが、その物語の評判から藤原道長が娘の中宮彰子の家庭教師として紫式部を呼んだ。それを機に宮中に上がった紫式部は、宮仕えをしながら藤原道長の支援の下で物語を書き続け、54帖からなる『源氏物語』が完成した。

関連情報

あらすじ

源氏物語のあらすじは、「warakuweb」から。

一帖 桐壺(きりつぼ):いつの時代のことだったか、帝の寵愛を一身に受けるさして身分の高くない更衣(桐壺更衣)がいた。父である大納言もすでに亡くし、格別の後見もないため、帝の一のきさきである弘徽殿女御をはじめとする後宮の女たちから嫉妬されながら、更衣は玉のような皇子を出産した。帝はますます更衣を愛したが、女たちからの嫌がらせもはじまり、それに耐えかねた更衣は病に伏せ、やがて亡くなった。帝は深い悲しみにくれた。母亡き後、養育していた更衣の母も亡くなったため、若宮は再び参内した。美貌はもとより、学問、音楽まで神才を見せる若宮が政争の種になることを恐れ、帝は若宮を臣籍に降し、源氏の姓を与えた。同じ頃、桐壺更衣に生き写しの藤壺の宮が入内した。帝の心は癒され、源氏も藤壺に亡き母の面影を求めた。帝の寵愛を受ける源氏と藤壺を人は「光る君」「輝く日の宮」と呼び讃えた。十二歳となった源氏は元服し、左大臣の娘(葵の上)と結婚した。しかし、源氏は四歳年上の妻になじむことができず、ますます藤壺への思慕を強めていった。

各帖
国立国会図書館デジタルコレクション
〔江戸時代前期〕
〔慶長年間〕
源氏物語絵巻

源氏物語は文献初出からおよそ150年後の平安時代末期に「源氏物語絵巻」として絵画化された。現存する絵巻物のうち、徳川美術館と五島美術館所蔵のものは国宝となっている。

現代語訳

これまでにも、多くの訳本が、出版されました。30言語以上の翻訳もされています。以下、発行部数ランキング。

あさきゆめみし

源氏物語の動画

名作時代劇

主演・沢田研二、脚本・向田邦子、演出・久世光彦で贈る名作時代劇「源氏物語」。光源氏と恋物語を繰り広げる8人の女たちには、八千草薫、十朱幸代、いしだあゆみ、倍賞美津子、藤真利子、風吹ジュン、叶和貴子、渡辺美佐子ら華やかな女優陣が名を連ねる。そして脚本家・向田邦子は、豪華絢爛な平安絵巻という以外に、愛の喜び、はかなさ、また運命の不思議さなど光源氏と彼をめぐる様々な女性の生涯を生き生きと描き出した。物語は、藤壺、紫の上、女三の宮とつながる、いわゆる「紫の物語」を中心に展開される。(1981年作品、全五話)

源氏物語文学セミナーYoutube版

「源氏物語文学セミナーYoutube版」では、一帖ずつ、親しみやすさに配慮して解説しています。いにしえの王朝の美を、どうぞお楽しみください。

中田敦彦のYouTube大学

オリエンタルラジオの中田敦彦さんが、解説する源氏物語。源氏物語を「ロイヤル・サクセス・パニックラブストーリー」と称しています。

資料博物館

風俗
風俗博物館
宇治市
宇治市源氏物語ミュージアム

ゆかりの地

源氏物語の舞台となった5つの京都のスポットをご紹介します。

廬山寺(ろざんじ)
廬山寺

廬山寺は938年~947年にかけて、平安時代の天台宗(中国発祥の仏教)の僧であった元三大師良源(がんざんだいし りょうげん)によって創建された寺です。ここは、源氏物語の作者・紫式部の邸宅があった跡地として知られ、紫式部はここで育ち、結婚生活を送り、一人娘を育て、生涯を送ったと言われています。

京都御所
京都御所

京都御所は、皇室関連の施設であり、1331年から1869年の間、皇居(天皇が居住し儀式・公務を執り行う場所)として使われていました。作中では冒頭にて、主人公・光源氏が生まれ育った場所として、京都御所が登場しています。源氏物語ゆかりの地を巡るには欠かすことのできないスポットですね。

渉成園(しょうせいえん)
渉成園

渉成園とは、東本願寺の境外にある池泉回遊式庭園のこと。池泉回遊式庭園とは日本庭園様式のひとつであり、大きな池を中心に園路を巡らせた庭園のことを指します。渉成園は、光源氏のモデルとなった源融(みなもとのとおる・平安時代の貴族、嵯峨天皇(さがてんのう)の子)が住んでいた邸宅「河原院」の跡地と言われています。作中では、光源氏の邸宅として「六条院」が登場しますが、その邸宅のモデルとなったのも源融が住んでいた「河原院」ではないかと言われています。園内には、源融の供養塔である九重の石塔もありますよ。

野宮神社 (ののみやじんじゃ)
野宮神社

野宮神社は昔、天皇に代わり、伊勢神宮にお仕えするために選ばれた斎王(未婚の皇族女性)が、伊勢へ行かれる前に身を清めたとされる神社です。現在では、良縁・子宝・学問の神様が祀られているとされ、海外からも多くの参拝者が訪れます。野宮神社は、源氏物語の第10巻「賢木(さかき)の巻」で、光源氏と、恋愛関係であった六条御息所(ろくじょうのみやすんどころ)の別れの場面で登場しました。六条御息所のせつない心情に寄りそいながら参拝すれば、より物語の情景が浮かぶでしょう。

大覚寺
大覚寺

大覚寺(嵯峨院)は、嵯峨天皇の離宮として建立されたお寺であり、約1200年余りの歴史を誇っています。日本最古の庭池があることでも有名です。源氏物語の第49巻「宿木(やどりぎ)」では、光源氏は晩年になって出家(世間一般の生活を捨て仏教の修行をすること)をし、ここで約2~3年過ごしたと書かれています。光源氏は自身の生涯をどのように思い、ここで生活していたのかを想像しながら訪れると、主人公の心情が見えてくるかもしれませんね。

二千円札

二千円札

2000年に発行された、二千円札の裏面には、源氏物語絵巻第38帖「鈴虫」の絵図と詞書(ことばがき)および作者の紫式部の図柄、光源氏、冷泉院が、描かれている。ただし、すべての詞書の文章が描かれているわけでなく、デザイン上の関係で詞書の上半分だけが描かれており、文章としては読めない。「鈴虫」の詞書は、以下。

すゞむし 十五夜のゆふくれに佛のおまへ
に宮おはしてはしちかくながめ
たまひつゝ念殊したまふわかき
あまきみたち二三人はなたてま
つるとてならすあかつきのおとみづ
のけはひなときこゆるさまかはりたる
いとなみにいそきあへるいとあわれな
るにれいのわたりたまひてむしのね
いとしげくみだるゝゆうべかな
とて我もしのびてうち誦んじ給へる

ポイント

『源氏物語』は、平安時代中期に成立した日本の長編物語、小説。文献初出は1008年(寛弘五年)で、作者の紫式部にとって生涯で唯一の物語作品である。主人公の光源氏を通して、恋愛、栄光と没落、政治的欲望と権力闘争など、平安時代の貴族社会を描いた。現代語訳本もあり、漫画の『あさきゆめみし』は、1,800万部の発行。ゆかりの地は、現在も観光地として、栄えている。


引用文献


  1. ウィキペディア
  2. WOW!JAPAN

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