「お菓子」は、全体を指す言葉で、「駄菓子」は、その中の安価で、小分けされたものを指します。
ちなみに、「菓子」という言葉はもともと「果物」を指す言葉でした。その後、お茶菓子として出される甘い加工品の「菓子」が作られるようになったので、「果物」を「水菓子」と呼び、加工品の菓子を「お菓子」と呼ぶようになりました。
「駄菓子」という言葉が生まれたのは江戸時代です。当時食べられていた「お菓子」には主に上白糖が使われていました。しかし、当時の上白糖はとても高級品だったため食べられるのは大名や武士などの身分の者だけでした。この上白糖を使った高級な菓子を「上菓子」と呼んでいました。そして、上白糖の代わりに安価な黒糖を使った菓子を「上菓子」に対して「駄菓子」と呼びました。ここから「駄菓子」=「安い菓子」というイメージのみが残って、現代の「駄菓子」のイメージが作られました。
テレビ朝日系『国民1万4千人がガチで投票!お菓子総選挙』で放送された「日本人に愛されるお菓子ランキング」をご紹介します。お菓子メーカー22社、約4500商品のラインナップから堂々ベスト30が発表! そのうち、16商品のランキングをお菓子の魅力とあわせて、まとめました。
うまい棒は、株式会社やおきんが日本で販売している棒状のスナック菓子。製造はリスカ株式会社。1979年7月の発売以来、標準小売価格は1本10円(消費税込)を維持している。なっとう味、めんたい味など種類が豊富でユニークなフレーバー(味)があり、これまで40種類程度が発売された。値段も安価なことから子供や若者を中心に人気のある駄菓子である。その人気により、やおきん公認の派生した展開も行われており、うまい棒をモチーフにしたリップクリームや入浴剤、キャラクターを使用した文房具やグッズ、「パチスロうまい棒」などが発売されている。
カレー味のあられですが、それほど辛くもなく、マイルドな一口サイズの駄菓子です。子供だけでなく、大人にも大人気です。ビールのおつまみにも、おすすめです。
酢で味付けしたイカをまるごと1本串に刺しました。程よい酸味が後を引く味付けになっております。1本でボリューム感が十分な商品を20本詰めました。家族や友人たち向けのお酒のおつまみとして最適です。POT容器入り。よっちゃん食品工業株式会社は、山梨県中央市に本社を置く海産物加工販売を行う企業です。駄菓子屋アイテムとして、長い間親しまれている「よっちゃん」は、駄菓子屋からコンビニエンスストア、スーパーまで幅広く流通しています。
「チョコフォ―」は、丸いカステラをチョコレートでコーティングした駄菓子。シンプルではあるものの、このカステラ+チョコの組み合わせが抜群の相性です。見た目がUFOのようで印象的。お手ごろ価格ながら食べ応えもあります。
「チロル」の名は、松尾製菓の社長がチョコレートを作るにあたって訪れたオーストリアのチロルから採られたもので、美しく雄大な大自然のチロルの爽やかなイメージから名付けられた。社長は貧しい子供たちにもお菓子を食べさせたいという思いからキャラメルのバラ売りを始め、これが大ヒットする。このため、作る前から売価を10円と決めていたが、すべてチョコレートにすると原料費が15円以上もかかるため、チョコの中にヌガー(ミルクヌガー)を入れることでコストを下げ、10円で販売できるチロルチョコを完成させた。これが1962年に発売された元祖チロルチョコで、三つ山がつながっていた。その後、「10円あったらチロルチョコ」というキャッチフレーズでブームとなった。コンビニエンスストアなどでは包装紙にバーコードを表示する必要からチョコの大きさを大きくしたため20円のやや大きめのものが売られている。バーコード管理が不要な駄菓子屋などでは、従来通り小型で10円のものも販売されている。
棒状のパン生地にチョコレートをコーティングしたもので、その外観はバットに見立てられる。当たりくじ付きで、パッケージ裏側に「ホームラン」「ヒット」「アウト」のいずれかが印刷されており、ホームランなら1枚、ヒットなら4枚で、チョコバットをもう1本もらえる。クレーンゲームの専用景品やパチスロ機の題材になる等の展開も行われている。
どんどん焼きとは、大正時代に東京でもんじゃ焼きを駄菓子屋の外で売り歩くようになりましたが、もんじゃ焼きは持ち帰りができないため、お好み焼きのように固くしたのが始まりです。売り歩くときに太鼓をドンドンしながら客寄せをしたり、どんどんと飛ぶように売れたことから呼ばれるようになりました。
1908年(明治41年)、佐久間惣次郎商店(後の佐久間製菓株式会社)が「サクマ式ドロップス」の発売を開始し、1913年(大正2年)には缶入りでの発売を始めた。それまで日本で作られていたドロップと異なり、クエン酸を使ったこの商品には「夏でも溶けにくい」「見た目に透明感がある」等の特徴があった。イチゴ、レモン、オレンジ、パイン、リンゴ、ハッカ、ブドウ、チョコ味がある。
パッケージにはうなぎの蒲焼イメージ写真が印刷されているが、実際にはスケトウダラのすり身が原材料である。圧縮して焼き固められているため、非常に堅い食感となっている。小売店では製品の入った平板な赤い袋が1枚ずつ並べられており、1枚約10円で販売されている。2008年9月頃に、内容量が減らされていた事があった。また、一時的に20円になったこともあった。
チーズあられは、福岡県北九州市小倉北区に本社を置く、チーズあられ等を製造するお菓子の製造メーカー中村製菓の駄菓子です。昔ながらの小麦粉を使用して、ふわっとカリっとチーズ味でちょうど良いうす塩加減がくせになるスナックです。中村製菓の看板商品として、古くから皆様に親しまれてきました。
キャベツが名前に入っているが、原材料名にキャベツの表記はない。ネーミングの由来について様々な憶測が流れているが、メーカー側からの公式発表はない。 2020年5月7日の関西ローカル番組ten.のコーナーで、キャベツ太郎のソース味が1980年台の食卓で並ぶことの多かったコロッケやとんかつにかけたソースが添えられたキャベツのイメージ、そして見た目が芽キャベツに似ているからなどの理由がメーカー担当者から回答されたものの、あくまで諸説があり、メーカーの公式回答としては消費者の想像にお任せしますとの放送がされた。
蜂蜜より少し強い粘り気があり、さまざまな色のものがある。べたつきを防ぐためにオブラートに包まれたものもある。そのまま食べると硬すぎるので、割り箸でこねて空気を含ませ、ある程度軟らかくなってから食べることが多い。もちろん、練らずになめてもよい。昭和40年代頃まで盛んに行われていた街頭紙芝居には水飴が付き物で、子供たちが水飴を割り箸で攪拌して遊びながら、おやつとして食べていた。
麩菓子(ふがし)は、麩を主材料とした日本の菓子。平成時代の日本においては、かつて昭和時代に駄菓子屋で人気を博した駄菓子がよく知られているが、麩を用いた菓子は江戸時代からすでに存在していた。駄菓子屋の麩菓子は、ほとんどが東京都墨田区の有限会社・鍵屋製菓が1949年に発売した「特製ふ菓子」であり、「勉強に スポーツに」と銘打たれた奇妙なキャッチコピーが特徴的であった。このほかに現代における食用以外の用途として、聴覚障害者、特に生来または言葉をおぼえる前に聴覚を失った障害者が、音声言語を自らの耳で聞かずに発声練習を行うため、小さくちぎった麩菓子を舌の上に乗せて発声を行なう、といった利用法もある。
ベビースターラーメン(英名:Baby Star Crispy Noodle Snack)は、おやつカンパニーが製造する味付けフライ麺風のスナック菓子である。ラーメンだけでなく、ベビースターの名を冠した焼きそば、蕎麦、うどん、パスタなどの麺類の味のスナック菓子や煎餅など別の形態のスナック菓子もあり、一つのブランドを築いている。また、作り立てや限定商品などを販売する「ベビースターランド」が、テーマ型商業施設「横浜博覧館」おやつファクトリー内に開設されている。
都こんぶの生みの親の中野正一氏は、昆布問屋の丁稚奉公中、売り物にならない昆布の切れ端をおやつとして食べながら、「昆布に味付けしたら売れるのでは」と考えて1931年に創業。駄菓子屋だけでなく、人の集まる映画館や演芸場などでも販売された。大人にも受け入れられるおやつとして駅の売店にも目をつけ、目立ちやすいように縦長に桜の花びらと都の文字が書かれた赤い箱になりました。林家三平氏のCMでも話題に。中野正一氏の生まれ故郷京都へのあこがれと郷愁の想いから「都」の名にあやかりたく願い「都こんぶ」と名付けられました。
タブレットタイプのコーラ味の清涼菓子で、缶の形をしたプラスチックの容器に入っている。発売開始は1978年11月。当時は缶コーラが250ml入り100円と高価だったため、安価でコーラの味を楽しむために開発された。以来、生産個数は月間120万個、年間1,440万個、発売当初から28年間で4億320万個に達し、オリオンの全商品中No.1の売り上げを誇る。1980年、パッケージがコカ・コーラと類似しているという主張から10年に渡る係争があったが、消費者が錯誤していないことを理由にオリオンの製造には問題なしとの判決が下っている。
「Imperial Hotel(帝国ホテル)」は1890年に日本の迎賓館として東京に誕生した、長い歴史を持つホテルです。1971年にガルガンチュワというホテルショップを開いたことから、帝国ホテルの料理が家庭でも味わえるようになりました。ガルガンチュワでは、食べ物から食器まで幅広い商品を取り扱っていますが、その中でも特にスイーツには高い人気があります。現在では空港やインターネットでも買うことができるため、自宅にいながら高級感を楽しめるという面でも、多くの方から支持されています。
「DEBAILLEUL (ドゥバイヨル)」は、1993年にベルギーで始まった、高級菓子店です。創業者であるマルク・ドゥバイヨルは、フランスで最優秀職人に贈られる国家資格、M.O.Fのタイトルを持ち、卓越した職人技術で世界中の人々を虜にしてきました。チョコレートが有名ですが、マカロンや焼き菓子等も取り扱っています。ドゥバイヨルのチョコレートの特徴は、上質な素材と手作りにこだわっているところにあります。厳選された素材はシンプルなチョコレートだからこそ際立ち、一粒一粒丁寧に作られた繊細なチョコレートは、一度食べると忘れられない幸せの時を演出します。女性へのプレゼントには、チョコレートの詰め合わせのセットがおすすめです。ヨーロッパ伝統のモチーフが描かれた箱にはリボンがかけられ、洗練されたパッケージはコレクターがいるほど、高い人気があります。
「Galler(ガレー)」は、ジャン・ガレーによって1976年に設立されたベルギー発のチョコレート専門店です。設立から18年後にベルギー王室御用達に認定されるほど、ガレーの作るチョコレートは最高級品質と認められており、世界中の人々から愛されています。ガレーのチョコレートの特徴は、まず一口でチョコレートを味わってもらいたいという思いから、チョコレートのサイズが小さめになっていることです。香りの良いチョコレートは口に入れるとすぐに溶け、口全体に広がります。人口着色料などの添加物を一切使用していないことも、人々から喜ばれる理由の一つです。
「MarieBelle(マリベル)」は、2000年ニューヨークで始まったチョコレート専門店です。ブランド名は創業者の女性の名前がそのまま付けられています。最高級のカカオを使ったチョコレートは、アメリカのセレブ御用達と言われ、高い評価を集めています。2012年に日本の京都に上陸し、それ以来日本人のファンも増やしてきました。今までマリベル・リバーマン氏はニューヨーク以外の出店を認めてきませんでしたが、出店を交渉した日本人のマリベルのチョコレートに対する愛に感銘を受け、日本への初出店を決めました。マリベルでは、色鮮やかな絵がプリントされたガナッシュと、ホットチョコレートが有名です。砂糖はあまり使われていないため、そのままのカカオの味が楽しめます。また美容にも良いため、女性から高い人気があります。
「GODIVA(ゴディバ)」は1926年にベルギーのブリュッセルに誕生したチョコレート専門店です。ドラップス家が家族一丸となって始めたチョコレート作りは、最初は自宅の地下室から始まりました。「GODIVA」という名前は、11世紀のイギリスで重税に苦しむ領民を救うために、自分を犠牲にしてまでも立ち上がった深い愛の持ち主である伯爵夫人の「レディ・ゴディバ」にちなんで付けられています。レディ・ゴディバにも負けないほどの深い愛を、GODIVAはチョコレートに込めて世界中の人々へ伝えます。世界三大チョコレートブランドの一つであるゴディバのこだわりは、アフリカ、南アメリカ、東南アジアなど、さまざまな産地からカカオ豆を取り寄せ、最上級のもののみを使用しているところにあります。また、ゴディバの創始者であるジョセフ・ドラップスが創り出したレシピに現在でも忠実に従っている一方で、新しいレシピやデザインを生み出すことも大切にしています。
池袋駅東口から明治通りを南へ歩くこと約15分。安産、育児の神が祀られている鬼子母神堂の境内に、その店は構えていた。
趣のある木造建築の平屋には、楷書体で「上川口屋」(かみかわぐちや)と書かれた屋号が、軒下の中央に大きく掲げられている。
屋号の上には少し控え目な文字で、「創業一七八一年」とある。江戸中期の天明元年だ。江戸幕府の第10代将軍徳川家治が治めた時代で、翌年には奥羽(現在の東北地方)・関東地方を中心に「天明の飢饉」が発生した。冷害や浅間山の噴火などで大凶作となり、疫病の流行もあって、餓死者・病死者は全国で90万人を超えたと言われる。以来、明治、昭和、平成、そして令和へと時代の移り変わりを経て239年、今もこの地に連綿と受け継がれてきた駄菓子屋である。
境内が黄色い落ち葉で敷き詰められた11月半ば、店をのぞいてみると、七五三で参拝に訪れた、晴れ着姿の親子連れらで賑わっていた。駄菓子が並ぶ縁台の奥で、グレーのニット帽をかぶり、チェック柄のエプロンを身に着けた内山雅代さん(80)が1人、買い物客にてきぱきした手つきで売りさばいていた。創業から数えて13代目の店主だ。
「子供の頃によく来てくれた子が『おばあちゃんにお金の使い方教えてもらった』って成人式の時に振り袖姿を見せに来るんです。『子供が産まれました。抱っこしてやって下さい』なんて来る子もいます。女の子が多いんですが、中には羽織袴を着た金髪の子が『おばちゃん覚えている?』って。それでスマホで一緒に写真撮るんですよ。そんなの楽しいじゃない? そうやって私とコミュニケーションを取って、お金の使い方とかお金の価値をここで覚えていったんです。それこそお金に換えがたい喜びですよ」
由緒ある店は、宮崎駿監督がプロデューサーを務めた映画『おもひでぽろぽろ』の1シーンにも使われ、日本のメディアだけでなく、台湾のテレビや韓国、中国、スペインなどの海外メディアにも取り上げられた。現在はコロナ禍でいなくなってしまったが、ここ10年ほどはアジア各国を中心に外国人観光客が訪れた。
「お金では買えがたい良さをうちは出し続けています。駄菓子屋なんて大したあれじゃないけど、今ではこの店に携わって良かったと思います。駄菓子屋をやるために、この世に生を受けたのではないかとすら考えています」
2020年12月18日、大雪の所為で、関越自動車道で、多くの車が立往生してしまいました。新潟県長岡市の菓子メーカー「岩塚製菓」のトラックも、巻き込まれていました。その時、メーカーの担当者が、トラックの運転手に、「積み荷のせんべいを食べてもらってください」と伝えたそうです。そうして、トラックの運転手が、周りの人たちに積んでいたせんべいを配り、受け取った人から感謝の声があがりました。
シリーズ累計150万部の人気児童書がアニメ化されることになりました。TVアニメ「ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」です。NHK Eテレ 毎週火曜 午後6時45分~6時54分 放送中!
また、映画化もされました。以下、予告編です。