三池炭鉱は、高島炭鉱に次ぎ、日本で2番目に近代化された炭鉱です。明治政府から払い下げを受けた三井により、イギリスの最先端の排水・巻揚機などの鉱山機械が導入され、大量の石炭を産出しました。また、専用鉄道の開通、三池港の築港が行われ、物流の効率化が図られました。明治日本の急速な産業化を支えた三池炭鉱・三池港は、坑口、鉄道、港湾の石炭産業に関わる一連の諸施設が良好な形で現存しており、産業発展の歴史を物語る物証となっています。
明治維新後、産業革命の進展に伴う急速な鋼材需要の増加により、銑鋼(せんこう)一貫製鉄所設立の機運が高まりました。日本で最大の石炭算出量を持つ筑豊炭田に隣接していたことや地元の熱心な誘致活動が実を結び、八幡村に製鐵所の設置が決まりました。官営八幡製鐵所は、ドイツから最先端技術を導入し、当初、計画通りの生産ができなかったものの、日本の風土にあった高炉の改変や操業方法の改善により、操業開始から10年で事業化に成功しました。その後の3度にわたる拡張計画の実施により、鋼材生産が増大し、日本の重工業化に大きく貢献しました。(福岡県庁より)
【公式サイト】:福岡県庁
九州本土から約60㎞離れた沖ノ島と、大島および九州本土に位置するその関連遺産群は、古代から現在まで発展し継承されてきた、神聖な島を崇拝する文化的伝統の顕著な物証です。沖ノ島には、日本列島、朝鮮半島および中国大陸の諸国間の活発な交流に伴い、4世紀後半から9世紀末まで続いた、航海安全に関わる古代祭祀遺跡が残されています。古代豪族の宗像氏は、沖ノ島に宿る神への信仰から、宗像三女神信仰を育みました。沖ノ島は三女神をまつる宗像大社の一部として、島にまつわる禁忌や遥拝の伝統とともに、今日まで神聖な存在として継承されてきました。(「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群保存活用協議会より)
【公式サイト】:「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群保存活用協議会