長崎には23資産のうち8つの資産があり、非稼働資産と稼働資産があります。非稼働資産とは、端島や旧グラバー住宅などのように、すでにその本来の目的を終え今は文化財として保全されている資産です。一方、稼働資産とは、三菱重工業株式会社長崎造船所内にあるジャイアント・カンチレバークレーンなどのように今も現役で活躍している資産です。(長崎市より)
【公式サイト】:長崎市
端島は、小さな海底炭坑の島で、岸壁が島全体を囲い、高層鉄筋コンクリートが立ち並ぶその外観が軍艦「土佐」に似ているところから「軍艦島」と呼ばれるようになりました。最盛期の昭和35年(1960)年には約5300人もの人が住み、当時の東京都区部の9倍もの人口密度に。島内には小中学校や病院などが完備され生活を全て島内で賄うことができ、映画館やパチンコホールなどの娯楽施設もそろっていました。端島炭坑の石炭はとても良質で、隣接する高島炭坑とともに日本の近代化を支えましたが、主要エネルギーが石炭から石油へと移行したことにより昭和49(1974)年に閉山。島は無人となりました。平成21(2009)年4月に一般の方の上陸が可能となり、現在では多くの方が軍艦島上陸ツアーに参加して、軍艦島を訪れています。
本資産は、大航海時代にキリスト教が伝わったアジアの東端にあたる、日本列島の最西端に位置する長崎ながさきと天草あまくさ地方に所在する12の資産から成る。16世紀後半に海外との交流の窓口であった長崎ながさきと天草あまくさ地方に定住した宣教師の指導を直接的かつ長期間にわたって受けた長崎ながさきと天草あまくさ地方の民衆の間には、他の地域に比べて強固な信仰組織が形成された。このような状況のもとで、17世紀の江戸幕府による禁教政策により日本国内から全ての宣教師が不在となった後も、長崎ながさきと天草あまくさ地方では少なからぬカトリック教徒が、小規模な信仰組織を維持して信仰を自ら継続し、「潜伏キリシタン」となって存続した。潜伏キリシタンは、信仰組織の単位で小さな集落を形成して信仰を維持し、そうした集落は海岸沿い、または禁教期に移住先となった離島に形成された。2 世紀を越える世界的にも稀な長期にわたる禁教の中で、それぞれの集落では一見すると日本の在来宗教のように見える固有の信仰形態が育まれた。本資産は、12の異なる構成資産が総体となって、潜伏キリシタンの伝統についての深い理解を可能としている。本資産は、禁教政策下において形成された潜伏キリシタンの信仰の継続に関わる独特の伝統の証拠であり、長期にわたる禁教政策の下で育まれたこの独特の伝統の始まり・形成・変容・終焉しゅうえんの在り方を示す本資産は、顕著な普遍的価値を有する。(kousin242より)
【公式サイト】:長崎県世界遺産課